時間の不在証明から導く自我の存在証明

……の失敗。

 

以前に「時間って物質的に存在するの?」と疑問を漏らしたことがある。

その際には、「存在しない」と意見されて秒で納得し、この話題は頭の中で凍結された。

この辺りは、実在論と唯名論の話になっており、後者の意見を採用したわけだ。

もっとも、僕が彼の発言を真に理解できたかはあらゆる点で怪しいところな上に、そもそも広義の意味での「意識」は純度を保ったまま他人へ伝えることができないのだから、微量ながらも重要な取り零しがある可能性は高い。

この「意識」を外部へ伝達する際に生じる齟齬の話は、今回の文章と関連がないとは言えないけれど、本質に迫る話題ではないため別の機会に回すこととする。

 

で、本題が隅へ追いやられてしまった。

この「時間」の話が解凍されたのは、つい最近の出来事。

 

哲学の代表例には、他にも「自分」の問題がある。

自分の存在証明や、その意味の有無。

最近になり自分の中にある汎神論や汎霊論が微調整され、その際に、こうした問題へ再度直面することとなった。

こちらもまた分別可能なため、他に回す。

本題はあくまで、過去から解凍した「時間の不在証明」と、「自我の存在証明の失敗」に過ぎない。

 

「時間の不在証明」は、視覚的な例で簡単に説明がつく。

例えば、1個の林檎を想像する。

この林檎の個数が0個になれば、当然ながら「林檎」という纏まった定義の物質は、視覚的には消滅する。

そこを踏まえた上で、個数をまた0個から1個へ戻すと、「林檎」という物質は、再び視覚化される。

この際に視覚化された林檎は、やはり「林檎」の形をした「何か」ではなく、「林檎」の定義に見合う形での林檎として存在しており、その中には構成要素の一つである蜜も含まれていることだろう。

「林檎」が視覚化されると、同時に構成要素である「蜜」も従属するのは当然のことだし、「林檎」が0個になったからといって「蜜」だけが置き去りにされるわけでも当然ない。

 

「時間」というのは、この林檎における蜜と似ている。

0個の林檎には、当然蜜は従属しないし、できない。

がしかし、1個の林檎には、必ず蜜が従属するし、しなければならない。

となる場合に、この要素を少し追加して考える。

0個の林檎は、存在しないのだから当然蜜もなければ腐りようもなく、時間経過が存在しない。

しかしながら、1個の林檎には必ず時間経過が、蜜と同じ「要素」として「従属」することになる。

0個から1個へ「有る」ことが確定するためは、要素として「変化する」ことも付きまとってしまう。

ならば、時間というある種のエネルギー体が空間に蔓延していなくとも、物事が変化し進んでいくことの説明は十分にすることができる。

 

(「不在証明」よりは「不在でも大丈夫証明」みたいになってしまったのは、僕の思考の傾向として処理してもらいたい。)

 

こういった思考が実際のところ、最低限、論理的にはまともであるかどうかを判断する能力が僕にはなく、とりあえずこれはこれとして脳内へ保存するだけに留まった。

この思考を解凍する必要があったのは、脳を0個から1個へと入力し直す際には、常に変化する「自我」もまた要素として「従属」するのでは、と考えたためだ。

 

例えば、脳を、外部の情報から完全に遮断するとしよう。

場合によっては、思考をするに必要な最小単位のものにまでして構わない。

この物質は間違いなく有るのだから、イコール変化もする。

ならば、この隔離状態にある脳には思考が存在することになり、その原始的とも言える思考、あるいはその源こそが「自我」なのではないか、と考えた。

最小単位の思考を集合させた場合に再度発生する思考も、これは「自我」が「自我」に影響されたのみの変化であり、実際のところ「自我」の純度を下げる外的要素は含まれていないのだから、問題はない。

 

しかし、脳は自律するもの、と前提を決めたのは大問題である。

脳が、文字通り人間のコンピュータであり、与えられた信号を処理することしかできないとしたら。

時間経過は確かに存在するものの、その時間経過は「何にも変化しないことが継続する」形で存在することになる。

隔離された脳は、埃を被ったコンピュータと全く同じ状態に陥るはずだ。

 

……脳に関しては(脳に関しても)全く詳しくないが故に、この問題は僕の脳内で発展することもなく終了してしまった。

第一、仮に実験として脳を取り出し、自律が確認できたとしても。

一度でも外的要素に触れていた場合、それが延々と脳内で反射しているだけで、ただ観測者から見たら「自我らしいもの」だと感じるだけかもしれないじゃないか。

脳を0個から1個にするような形で存在させることは、現実問題として不可能としか言えないし、仮に可能だとしても、接触もなしに観測する手段はなさそうに思える。

 

まあそもそも、こんなことは今まで何十回と通過してきた古い問題な気もするし。

 

はあ。

頭良くなりたい。

ぶってても仕方ないんだよね。